オットマール・スウィトナーを続けて取り上げる。今回はシュターツカペレ・ベルリンを振ったブルックナーの8番。この曲は好きで、フルトヴェングラー/ベルリンフィルの1949年ライブ、クナッパーツブッシュ/ミュンヘンフィルの1963年スタジオ録音、シューリヒト/ウィーンフィルの1963年スタジオ録音の三つを普段CDで良く聴いている。フルトヴェングラーに関しては、先日このお店で、独ELECTROLAから出ていたDacapoシリーズのLPの一枚を安く手に入れることが出来た。幸運である。
スウィトナーのブルックナーはどうであろうか。第1楽章は、あまり神秘めかさずに淡々と始まる。強音になるところで、オケの迫力に圧倒される。神を求める人間の心が、ヒューマンな形で表現されている。終わりのところの叫びが素晴らしい。第2楽章は、きびきびとした感じが際立っている。金管を思い切って鳴らしているのも良い。トリオに入ると、ぐっと静かで優美になる。スケルツォに戻ると、再びダイナミックな感じになる。第3楽章は、寂しさが極まっている。孤独の中で内面をじっと見つめるかのごとくだ。ヴァイオリンの響きが清浄である。ゆっくりとしたテンポで歩みを進めていくが、もたれることはない。長い楽章だが、緊張感がとぎれることはない。第4楽章は、大胆なまでにダイナミックである。それでいて、静かな部分にはやはり孤独感が漂っている。全編を締めくくるにふさわしい力の入れようだ。そして、全曲終わりの充実感と満足感が凄い。
録音は1986年のデジタル録音で、極めて優秀なクリアーさである。楽器群の個性を立体感を持って捉えている。
このスウィトナーのブルックナー8番は、名盤と言って良いのではないかと思う。とにかく立派な演奏だ。なかなかここまで出来るものではない。このようなレベルの高い名盤に出会えて良かったと心から思う。これから繰り返し聴いていきたい。
かつてN響の名誉指揮者を務めていた、東ドイツの名指揮者オットマール・スウィトナーが、シュターツカペレ・ベルリンを振ったベートーヴェンの「田園」。何となく良さそうだと直感的に思って購入した。スウィトナーは、東ドイツが崩壊してからいささか地味になってしまったが、子供のころにN響のテレビなどで聴いて、良い指揮者だと思っていた。しかし、現在もあまり詳しくはない。
さて、この「田園」、第1楽章の出だしから、軽快で爽やかである。田園に着いた時の楽しい気分が良く表現されている。聴いていて、段々感情が高まっていく。第2楽章もすっきりとして、もたれることがない。それでいて、おだやかに心が落ち着く。特につややかな弦が美しい。第3楽章は踊りの音楽という感じが良く出ている。さまざまな管楽器の活躍が楽しい。けっこう力強さもある。第4楽章はさらに力強さが増すが、美しさというものは保たれている。なるほど嵐のときでも自然は美しい。第5楽章はほっとした感じと湧き上がる喜びに満ちた演奏。自然への静かな感謝も良く表現されている。以上、全5楽章の流れとバランスの良い名演である。
この東独エテルナ盤の録音はクリアーで、個々の楽器のパートが良く分かる。それでいて、そこはかとない上品さが漂う音である。
とても良い買い物が出来たと思う。愛聴していきたい。また、スウィトナーの他のベートーヴェンの交響曲もLPで聴いてみたいと思った。
この名盤は、中野雄さんが著書の中で紹介されていて、その存在を知っていたが、不勉強ながら長らく未聴であった。2年ほど前にベーレンプラッテで見つけて購入した。こういう名盤のたぐいを数多く揃えているところが、このお店の良い所だと思う。私が買ったのは東独エテルナ盤であるが、西側諸国ではフィリップスから出ていた録音だと思う。
ベートーヴェンの「皇帝」もかなりの数を聴いてきたが、王者の風格というものを真の意味で表現しているのは、エトヴィン・フィッシャー/フルトヴェングラー/フィルハーモニア管と、このアラウ/コリン・デイヴィス/シュターツカペレ・ドレスデンの二つに絞られるのではないかと思われる。
このアルバムは、第1楽章の始まりからして、普通の演奏とは違う気迫と気品に満ちている。アラウのピアノには緊張感が漂い、デイヴィス指揮のオケは雄大なスケールである。まさに「皇帝」の名にふさわしい。ピアノもオケも、音がとても美しい。第2楽章は、切々とした祈りのようなものを感じさせる。聴いていて安らぎを覚える。アラウのピアノは聴き手にやさしく語りかける。トリルが非常に美しい。ピアノもオケも、どこか孤独感を漂わせている。第3楽章は華麗だが、華麗過ぎないところが良い。あくまで内面の充実を重視している。抑制の効いた力強さに貫かれている。終盤の追い込みも見事。
録音は薄い絹のヴェールがかかったような独特の美しさがあるもの。上品な音であり、聴いていてうっとりする。エテルナ盤とフィリップス盤では、また違った音なのかも知れない。興味のあるところである。
このような名盤をLPで聴けるというのは幸せである。これからも愛聴していくことは間違いないだろう。
この、イェルク・デームスがオリジナル古楽器を弾いて、古楽器オケであるコレギウム・アウレウムを弾き振りした、モーツァルトのピアノコンチェルトのアルバムは、その珍しさに惹かれて購入した。デームスといえば、シューマンの全ピアノ曲をモダンピアノで弾いた全集が有名だが、モーツァルトの古楽器演奏はどんなものだろうという興味が湧いた。コレギウム・アウレウムは、純粋な古楽器使用ではないようだが、聴いている限り、ちゃんと古楽器の音がしている。
ここでのモーツァルトのピアノコンチェルトの第12番K414と第27番K595は、1975年4月7日に行われた音楽祭での演奏だということが、ジャケットに貼られたシールに書いてあった。古楽器演奏が今のように隆盛になる以前のことである。さて、肝心の演奏である。12番はウィーンでのモーツァルト最初のピアノ協奏曲であるが、その初々しさのようなものが良く表現されている。デームスのフォルテピアノは繊細かつ優美である。弾き振りであるが、オケは単なる伴奏にはなっていない。弦と管のバランスが絶妙である。とにかく聴いていて楽しい。フォルテピアノとオケが深い対話をしている。変わって27番。このウィーン最後のピアノ協奏曲の演奏にも、基本的に12番と同じ事が言えるが、こちらの方がより凛とした感じがある。それは曲の違いによるだろう。何か深い静けさのようなものが漂っている。フォルテピアノとオケの絡み合いはウィーン初期よりも緊密になっているが、デームスはそのあたりを良く表現している。聴いていて身が引き締まる思いだ。
このアルバムの録音は極めて優秀。余計な味付けをせずに、古楽器演奏の質素な美しさを見事に捉えている。臨場感も十分。
2曲の演奏とも、聴いていて楽しいと同時に、どこか悲しい。シューベルトの「モーツァルトの音楽は悲しい」という言葉にぴったりの感じがする。デームスという音楽家の底力のようなものが良く分かる名演奏である。ハルモニア・ムンディも、昔からこんな名盤を出していたのだなと感心した。2年ほど前に買った愛聴盤のひとつである。大事にしたいと思っている。
ゲザ・アンダは、デビューして当初はロマン派の名手として知られていたということは、知識としては知っていたが、実際に彼のロマン派の録音は不勉強ながら聴いたことがなかった。2年ほど前にこのLPを購入して、遅まきながら勉強している。村上春樹氏はそのクラシックに関する著書の中で、アンダには“中庸の良さ”があると言っておられるが、その通りだと思う。前奏曲集に関しては、コルトーやアルゲリッチに較べると、抑制された演奏。すっきりとした味わいがあり、ロマン派というよりは、古典派とのつながりが作曲家にあることを感じさせる。ショパンは「自分はロマン派ではない」と言っていたそうである。アンダの演奏は、高貴とまでは言えないかも知れないが、この人にしかない上品さというものがある。1曲ごとの違いを強調するというよりも、24曲全体の流れを重視していると思われる。テクニックがあるが、それを誇示しない態度に好感が持てる。全体として、おだやかな美しさに満ちて、何度も聴きたくなる。英雄ポロネーズは、歯切れが良く、元気のある演奏だが、やはり上品さは失われていない。聴いていて楽しい。このLPは、パリのグランプリ・ドゥ・ディスクを受賞した名盤ということである。当然かなと思う。DGGのステレオ録音も優秀で、アンダのピアノの音色が美しい。これからも愛聴していく所存である。
このレコードの事は不勉強で全く知らなかった。ヨッフムのモーツァルトのオペラという事が新鮮に感じられたので、少し冒険するつもりで(迷いながら)購入した。キャスティングは、フィオルディリージがイルムガルト・ぜーフリート、ドラベッラがナン・メリマン、グリエルモがヘルマン・プライ、フェッランドがエルンスト・ヘフリガー、デスピーナがエリカ・ケート、ドン・アルフォンソがディートリッヒ・フィッシャー=ディースカウである。豪華キャストと言って良いだろう。ヨッフムの指揮は、予想したよりも遥かに躍動感にあふれ、ぐいぐいと音楽を進めていく。なおかつ優美さにも欠けていない。モーツアルトのオペラ演奏としては、文句のつけようがない。歌手たちは、イタリアの歌手に較べてドイツの歌手はそうだと思うが、いたずらに自己主張をすることなく、指揮者のいう事を良く聞いて歌っている。全般的に優等生的な演奏という事が出来るだろう。DGGの独最初期盤ということであるが、優秀なステレオ録音である。音がヴィヴィッドで、演奏の躍動感を引き立てている。ちなみにこのレコード、1面の裏が6面、2面の裏が5面、3面の裏が4面となっている。こういうのは、昔のオペラのレコードなどには良くあったようだ。2年ほど前に購入して、今までに2回ぶっ通しで聴いたが、2回とも非常に楽しめた。本当はもっと頻繁に聴きたいのであるが、いかんせんオペラの全曲盤となると、少々聴くのがおっくうな気持ちになってしまう。その点反省している。ともあれ、これはこれからも何度も聴きたいレコードであることは確かだ。大事に持っていたいと思う。
カイルベルト&バンベルク交響楽団によるモーツァルト。知る人は知っている名盤なのかも知れないが、私にとっては掘り出し物であった。私にとってのカイルベルトは、テスタメントから出ている「ニーベルングの指環」のCDでの、白熱した名演を成し遂げた指揮者という印象が強いが、このモーツァルトの40番と「ジュピター」も非常な名演であると思う。何というか、古武士の風格とでも言ったら良いか、質実剛健かつ気品のある演奏なのである。一聴した印象は、「優美さのないモーツァルトだなあ」というものだったが、これが良いのだ。なぜか知らぬが繰り返し聴く愛聴盤となってしまった。カイルベルトは、曲の構造を良く分析して、立体的に演奏を組み立てている。バンベルク交響楽団も、抑えめであるが確かな気迫を持って指揮者について行っている。結果、この個性的な名演が誕生したということであろう。とにかく他にはない演奏だ。
TELEFUNKENのモノラル録音も明晰さを持った優秀さ。聴いていて飽きの来ない音である。2年ほど前に購入して以来、良く聴いている。現在ではあまり話題に上らないようだが、確かな名盤である。
エジプトでのライブ。名高い名盤ということであるが、恥ずかしながら未聴であった。2019年にDGGから出たCDボックスである「COMPLETE RECORDINGS ON DEUTSCHE GRAMMOPHON AND DECCA」には、同じエジプトライブが収録されているが、それは1951年4月25日のアレクサンドリア。このLPの方は、2日前の1951年4月23日のカイロであって、二つは別の演奏だ。このカイロでの演奏は、CDボックスには収録されておらず、そういう意味で、このLPは貴重である。基本的な音作りはアレクサンドリアとカイロで大差ないが、カイロの方が白熱の度合いが若干高いように思われる。聴いていて、非常に惹き込まれるものがある。フルトヴェングラーのブルックナーはドラマティックであり、それには賛否両論あるが、私は賛の方である。ベルリンフィルの音は厳格かつ厳粛である。ウィーンフィルの明るさに較べて、ある種の暗さがあると思う。私はウィーンもベルリンも同じように好きである。LPは独DGGの“HISTORISCH”という再発廉価盤だが、このシリーズ、音を若干いじっているのではないかと思われる。私は特にオリジナル盤ということにこだわらない者なので、特に気にせずに楽しめる。かれこれ2年程前に購入して以来、時々聴いているが、飽きの来ない名盤である。こんな良いレコードを売ってくれたお店に感謝。
かれこれ2年程前に購入。恥ずかしながら45歳を過ぎても未聴であった。購入以来、今日まで事あるごとに聴いているが、これは真の名盤であった。それもちょっと信じられない程の。クナッパーツブッシュは、頑固にインテンポを守りながら、淡々と音楽を進めていくが、そこにはうまく言葉では表現できない深みがあり、ブルックナーの神髄を見事に捉えている。ウィーンフィルの音色も温かみがあって良い。このオケは、指揮者の言うことをあまり聞かず、自分達のやりたいようにやるオケだという噂があるが、フルトヴェングラーやクナッパーツブッシュ級の指揮者の言うことには素直に従ったと思われる。結果、歴史的な名盤を生んでいる。これもその一つだ。独DECCAのわりと初期のころのLPだと思うが、音が非常に良い。良心的なエンジニアの仕事ぶりだ。このLPはベーレンプラッテで購入した初めてのレコード2枚のうちの1枚である。非常に良い出会いが出来たと思う。感謝。
なるほど、ダイレクトカットとはこう言うものか。音楽的には面白くも何でもない。もう少し音楽的な内容でダイレクトカットのLPを聞いてみたかった。ダイレクトカットの名前だけで購入してはいけない代表的なLPではないだろうか。